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甲府市内めぐり_武田神社 [寺社巡り]

2016年6月3日(金)にサントリー直営ワインショップ「カーヴ・ド・ヴァン オンライン」が開催する特別ワイナリーツアーに参加するため、
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1日早く甲府駅にきたのは、昨年10月に登美の丘ワイナリーでの「プレミアムテイスティングセミナー」参加の際には、甲府市内を全く見て回らなかったので、今回はぜひ市内めぐりをするため早く来ました。
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改札をでて駅北口から延びる
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武田通りを、武田神社に向けてしばらく歩くと、
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通りの両側に山梨大学のキャンパスがあります。
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さらに進むと周辺案内図と武田二十四将の一人「馬場美濃守信春屋敷跡」の標柱と説明があります。
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駅から30分ほどで武田神社の前に着きました。
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神社前にある由緒書には、
「御祭神 武田晴信命(信玄公)
 鎮座地 山梨県甲府市古府中町二,六一一
     御祭神在世中の居館、躑躅ヶ崎館跡

由緒
 武田晴信公は清和源氏新羅三郎義光公の後裔で、大永元年(一五二一)十一月三日、武田信虎公の長男として石水寺要害城に生まれました。幼名を太郎、童名を勝千代と名乗り、天文五年(一五三六)三月の元服に際し、将軍足利義晴から「晴」の一字を賜り晴信といい、従五位下大膳大夫に叙されました。

 天文十年(一五四一)信虎公の後継者として、甲斐の国主となり、以後三十有余年領国の経営に力を尽くされました。

 天正元年(一五七三)四月十二日、天下統一の夢を抱き鏡に上る途中、信州伊那駒場で病没されました。(行年五十三歳)

 大正四年(一九一五)大正天皇の即位に際し、晴信公に従三位が追贈され、これを機として山梨県民はその徳を慕い、官民が一致協力して、社殿を造営、大正八年(一九一九)四月十二日、鎮座祭が盛大に斎行されました。

例 祭 四月十二日(御祭神御命日)
 祭典終了後、神輿渡御が行われ、甲冑に身を固めた武田二十四将の騎馬が神輿を供奉し、豪華かつ雄壮な神輿の列が桜花の咲く中、甲府市内に繰り広げられ賑わいを見せております。」
と記されています。
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神橋から一之鳥居・参道とつづきます。
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武田神社の全図
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「武田神社」の社号額が掲げられた一之鳥居からは、参道の先に社殿が見えます。
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一之鳥居から武田通り方向を見ました。
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社殿に向かって右手の狛犬と、
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左手の狛犬
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社殿前にある二之鳥居の前には夏越しの大祓に使用される「茅の輪」が設けられています。
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参道の左にある手水舎
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二之鳥居から茅の輪、参道、一之鳥居方向を見ます。
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武田神社の拝殿
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拝殿の唐破風
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拝殿上部の掲げられた「武田神社」の社号額
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拝殿を左方向から見ました。
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拝殿を右方向から見ると、拝殿奥の中門、本殿が垣間見えます。
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拝殿右手にある「信玄公御使用井戸」の表示があり、「躑躅ヶ崎館の中心部に掘られた井戸で、当時の生活を偲ばせる貴重な遺構である。」と書かれてます。
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甲陽武能殿
武田神社のホームページには、「『甲陽』とは、命名者 観世喜之師の座右の書である、甲斐武田の軍学書『甲陽軍艦』より引用されている。『甲陽』の意は甲斐の国の輝く様を表している。
『武能』とは、武田氏の『武』であり能楽の『舞』と同じ音につながり、古来より武芸を嗜む者は同時に舞をも嗜み、その拍子を己の武芸に取り入れた伝えられる。
この武田の社に築かれた輝かしい舞台において、能楽を始め神楽または演舞といった芸能が未来永劫演じられる事を願い命名された。」
とあります。
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社務所近くにある名水「姫の井戸」
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「躑躅ヶ崎館(武田氏居館)跡」説明には、
「この地は武田氏三代(信虎・信玄・勝頼)の居館にして躑躅ヶ崎の西方にあるところから後世この別称を用いたと伝えられる。屋形一帯の壕塁・縄張りは左図の如き。
構成でほぼ現存し往時を偲ぶに足る。居館中心地域については各説あるも一応左図の如き屋形配置が想像される。」
とあります。
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武田神社の参拝を終えて、武田信玄公墓に移動します。

武田神社のホームページ:http://www.takedajinja.or.jp/


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